今、ゲームは、ただ遊ぶためだけのものではありません。
先日のSBCast. ゲームさんぽ なむさんをお招きした回では、ゲームの遊び以外の側面のお話しを多数、取り上げました。
ゲームの遊び以外の側面については、以前、格闘系ししょさんをゲストとしてお招きした回でも触れています。
ゲームは今やいろいろな楽しみ方・いろいろな学び方ができるものであり、一つの文化といっても良いものです。
ゲームから学べることとは
今のゲームから学べることは、数多くあります。
たとえば心理。ゲームで多くの人物の生き方を見ることで、考え方やトラブルへの対策を学ぶ。
たとえば歴史。現実の史実を元にしたゲームから、あるいはその史実を元にした架空の歴史から、実際の史実への理解を深める。
たとえば考え方。ゲームで提示された難題を切り抜けることで得た知識やノウハウを、現実の生活に活かす。
今のゲームは描写も細かく、物語も作り込まれている。そんな中から、自分の生活に活かせる知識を得ることができる。
また、ゲームは、現実にある様々な情報を、とてもシンプルなかたちにまとめて表現してくれる。
だからこそ、現実では複雑な命題をシンプルに捉え直すことができる。それにより見えやすくなる物事や、その考え方もある。
ベースにあるのが「遊び」であること
そうはいっても、ゲームはゲーム。あくまで主体は遊び。
ただ、ベースにあるものが遊びだからこそ、ゲームで得られる知識は、よりプレイヤーの身に染みこみやすいのではないかと、私高見は考えます。
ゲームに関わる第三者
ただし、ゲームを遊ぶ万人が、そこから知識やノウハウを得られるとは限りません。そこで知識を得られる人と、得られない人の違いはどこにあるのか。
私高見は、第三者 良き先輩の存在が必要なのではないかと思っています。
これについては以前、高見がNPO法人ふらいおんのポッドキャストに出演した際も、言及しました。
多くのコンピュータゲームにおいては、ゲームの相手はコンピュータであったり、ネットの向こうでまだ自分と関係性のできていない他人だったりする。
だからこそ、ゲームについてなにかアドバイスをしたり、物語の補足をしたり、あるいは、よくないプレイについて指摘したりする人がいない。
ゲームについて話せる、親など、本人よりも知識が豊富で、かつ近い立場の第三者の存在。それが、ゲームを学びに活かすには必要なのではないでしょうか。
ゲームについて話せる第三者になる
ゲームをやらない人が、ゲームについて話せる第三者になる。
なむさんが行うゲームさんぽは、そのためのヒントになり得るものだと思います。
ゲームの世界を、ゲーム以外の分野の専門家と一緒に見る。そこから、気象や人の心理、職業について話す、それを聞いて、考える。
昨今は、ライブドアニュースとのコラボレーションで、さらにいろいろな分野にも触れています。
地理、建築、文学、美術。ゲームさんぽを通して、ゲームの中にある様々な学びのきっかけを見ていくことができる。
今のゲーム内の世界はどうなっているのか?そこで何を得られる可能性があるのか。ゲームさんぽの動画は、その可能性を知るきっかけになり得るのではないでしょうか。
ゲームを不当に批判する立場にならないように
ゲームは、なにかと批判される立場になりがち。ゲームを避ける考えは、学校などの場にもまだある。
しかし、ゲームに一生に一度も触れない という生き方は、今の時代とても難しい。
だからこそ、ただ批判するだけでなく、ゲームとほどよい距離感を作れるようになって欲しい。そして、可能ならばゲームから何かを学び取れるようになって欲しい。
そのためには、より多くの人が、ゲームについてどう向き合うか、考えてみる必要があるのではないでしょうか。
幸い今は、オンラインツールを使って、遠くの人同士が、違う立場の人同士が、約束さえすれば気軽に、すぐ話しあうことができる。
だからこそ、そのようなツールを使って、ゲームについて立場の違う多くの人がお互い冷静に話しあう場を作る。それは、今だからこそできることなのではないかと、私高見は思います。